「みずばち」 (7月2日)
- 公開日
- 2013/07/02
- 更新日
- 2013/07/02
隅田中日記
今日、7月2日(火)付 『天声人語』を紹介します。
「みずばち」という言葉を幸田文(あや)の随筆で知った。明治生まれのこの人が若いころ、水を雑に使うと「いまに水罰があたって、水で不自由する」と叱られたそうだ。おまえに水がこしらえられるか——。叱る大人には、水は天地自然のおかげさまという思いがあった▼昔読んで以来、節水の夏が巡るたびにこの言葉を思い出してきた。2年前からは節電が加わった。必要なだけ電力会社がこしらえてくれるのをいいことに、思えば無邪気に使っていた。東日本大震災の後の、痛い自省である▼そして3度目となる「節電の夏」が、きのうから始まった。過去2年と違って今年は数値目標がない。真に節電が定着するか、リバウンドしてしまうのか、試されることになる▼去年は夏本番を前に、福井県の大飯(おおい)原発だけが運転を再開した。政権は代わって、今の政府は再稼働に前傾を強めている。福島の教訓を忘れて、「必要ならいくらでもこしらえますよ」という誘惑に乗りたくはないものだ▼幸田文に話を戻せば、東京の町なかへ来て驚いたそうだ。洗濯も食器洗いも水道を流しっぱなしで、「水罰」などと言う人はいなかったと書いている。時は流れて電気もしかり。現代人は少し、緩んでいたように思う▼地球は未来からの預かりもの、と言う。始末のつかぬ使用済みの核燃料などをもうこれ以上、子孫にツケ回ししたくはない。きのうは職場の棚から団扇(うちわ)を引っ張り出し、風をもらって仕事をした。今年も頼もしい、夏の友である。