障害についての学習 (3年)
- 公開日
- 2009/03/06
- 更新日
- 2009/03/06
学年
本年度スクールソーシャルワーカーとして本校に勤務している「大前太一氏」が、3年生の各クラスで、自らの体験をもとに「視覚障害について」講話を行ってくれました。
内容を紹介させていただきます。ご一読下さい。
∞∞∞∞ スクールソーシャルワーカー「大前太一氏」の講話内容 ∞∞∞∞
皆さんこんにちは。
私の名前は大前太一といいます。 今年の5月から毎週水・木・金曜日とこの中学校で、スクールソーシャルワーカーとして働かせてもらっています。主に心理相談などを担当し、不登校や別室登校、悩みを抱えた人の相談に乗っています。
趣味は、音楽を聞くこと、スポーツ観戦(特に野球)が大好きです。それで阪神ファンなんです。 僕は人の心に関する学問(心理学)を勉強してきました。よく雑誌なんかを見ていると、心理テストが載ってたりしますよね。ああいった心理テストなんかも勉強しました。
出身は、生まれも育ちもこの高野口です。ただ、学校は目が不自由な人たちが行く盲学校という学校で幼稚園から高校生の間まで過ごしてきました。そういう目の見えない人たちが行く盲学校は各県に大体一つから二つあります。和歌山県には和歌山市に一つです。高野口からだとちょっと遠いので寮生活をしていました。
それでいまさらいうまでもないんですが、僕は目が全然見えません。みなさん、目が全然見えないってどういうことだと思いますか? 想像してみてください。皆さんは、 今こうやってしゃべってる僕の様子を見ていますね。周りの人の様子、書いてある文字、天気。いろんなことが視覚から入ってきます。皆さんも今までちょっとは経験があるかもしれませんが、たまたま電気なんかがついてなくって、真っ暗な場所に行ってしまったことはないですか? すべての電気を消した状態、目を閉じた状態。そんなものを想像してみてください。それが僕の状態です。僕は生まれつき、正確に言うと生まれてすぐ、そういう状態になりました。だからずっと全く見えない状態で25年間過ごしてきたわけです。人間が情報を得ている中の70〜80%は視覚から得ています。その視覚情報が完全になくなると、自分でも大変なことなんだなと思います。でもまあ人間というのは一つの感覚が失われると、別の感覚が結構発達してくるものです。だからもしかすると、皆さんが想像するほども困ってないのかもしれません。もし 皆さんが可能であれば、目隠しをして、誰かに介助をしてもらってぜひいろんな所を歩いて見てください。今まで気づかなかった風とか、体に感じるもの、周りの音などがそれまで以上によく感じると思います。食事をするのも目をとじてちょっと食べてみたら味がよく感じるかもです。そんな感覚を利用し、努力したり工夫して今まで生きてきました。具体的にあんなときは、こんなときはといろいろ話せたらいいんですが、それをしてると50分じゃ終わらないんで、目が見えないということについてまた興味のある人はまた出会ったときにでもいろいろ聞いてください。
ただもちろん苦労することもたくさんあります。皆さん、目が見えないとどんなことをすることが1番苦労すると思いますか? 皆さん自身の生活を想像して言ってみてください。
答えは、歩く、走ること(歩行)と、読み書きです。
私たち視覚障害者は歩くとき、白い杖をもって歩いています。1人で歩くこともありますが、とても大変なことです。しかし、目が見えている皆さんが介助をして歩いてくれると、安全に歩くことができます。私も皆さんに介助をしていただくことがあるかもしれません。もしくは皆さんが今後どこかで視覚に障害を持った人に出会うかもしれません。そんなときは是非介助をしていただけたらと思います。
そこで、介助の仕方について説明したいと思います。(別紙参照)
それでは今度は進路についての私の体験談を話したいと思います。皆さんの中で今なりたいものが決まっている人はいますか? 皆さんはそろそろ高校受験が近づいてきました。一つの進路を決めないといけない時期ですね。将来何になろうかと考え始めている人も少しいると思います。僕も多分皆さんぐらいの時期から考え始めたと思います。今から考えるとそのときはなりたいものがころころ変わっていたような気がします。皆さんも今ぐらいからあせらなくてもいい、暇な時とかにでもいろいろ考えて見られることをお勧めします。
僕の場合なりたいものはなにかという視点と一緒に、目が見えなくてもできる仕事は何かと考えたんです。現在視覚障害者のほとんどが、(鍼・灸・按摩)の仕事をしています。視覚障害者にはそれが一番適していると考えられているからです。でも僕は、皆が同じ仕事をしているから、自分も同じ仕事をするという考え方はしたくありませんでした。しかし。この見えなくてもできる仕事はと考え、いろいろ消去法で消していったんですけど、職業についてあまり知識がない僕にでも、想像だけで、できることが少ないことに気づきました。あれも無理。これも無理。いろいろ考えていくと、見えないことがすごく悲しくなってきました。皆さんも全然見えない状態でどんな仕事ができるんだろうと考えてみてください。なかなかないものです。さすがにへこみました。
結局その当時なりたいものはなんやかんやあったのですが、カウンセラーになりたいと思うようになったのは、高校2年生ぐらいからだったと思います。当時僕の周りでは悩みを抱えた人、精神的に傷ついた人がたくさんいました。そんな人たちの心に寄り添って回復を援助していきたい。強くそう思うようになりました。後カウンセラーは基本的には人と会話をしたりしながら人の心を回復させていきます。そのこと自体には目が必要としません。僕にとってはぴったりの職業だと思いました。
でもその後が結構大変だったのです。カウンセラーになりたい、心理学を勉強したいと思ったんですけど、それには大学に行かないといけないことになったわけです。学力云々もあったけど、周囲に大学に行くのを反対されたり。大学も障害者を受け入れてくれる大学ばかりではなかったんで、受験を拒否されたこともありました。
また、大学は、視覚障害者が不自由なく行けるような設備が整っているわけではありません。授業のプリントやら教科書。全部点字になってないのでそれを何とかすることも必要でした。いろいろあったけど、いろんな人を説得し、納得していただき、協力していただいたおかげで、いろいろな問題を何とか乗り越えることができました。
今考えてみると、僕はいろんな人に支えられて生きてこられたんだなと思います。自分のために協力してくれる人がいる、気にかけたり心配したりしてくれる人がいるからこそ今の自分があるんだと強く感じます。
今この中にも苛めにあったり、誰にもいえない悩みや思いを持っている人はいるかもしれません。一人ぼっちだと思ってる人もいるかもしれません。でも皆さんのことを気にしたり、心配したりしてくれている人は絶対にいると思います。
僕は支えてくれた人に感謝しています。もちろん皆さん何かあれば私のところにもぜひ来てください。皆さんの人生を変えるほどのことはできないかもしれませんが、一緒に悩み、一緒に考えてちょっとでも解決に向かえるように考えて生きたいと思います。
今振り返ってみると、毎日大変なことはたくさんあります。けどそれはそれで幸せだなと思います。現在、中学校をはじめ、いろいろなところで働いています。お金を持っているわけでもないし、えらいわけでもないけど、人と関わることによって元気になってくれる。それはなにものにも変えがたい幸せです。今度臨床心理士というカウンセラーの資格試験を受けます。合格すれば日本で二人目の全盲の臨床心理士になります。そうなれるように頑張っていきたいと思います。
将来に対する不安があるかもしれませんが、あせらなくていい、勉強も遊びも今できることを頑張ってほしいなと思います。