学校日記

お世話になりました。

公開日
2013/03/29
更新日
2013/03/29

校長先生より

私、校長 米田 崇は、今月末で定年退職させていただきます。

平成15年4月〜  紀の川市立東貴志小学校で3年間 
平成18年4月〜  橋本市立城山小学校で2年間
平成20年4月〜  橋本市立三石小学校で5年間
合計10年間、小学校の校長をつとめさせていただきました。
その間に約1300人のかわいい児童とめぐり合い、楽しい学校生活をおくらせていただきました。夢のような楽しい10年間でした。最初の3年間は紀の川市で単身赴任、橋本市の7年間は京都の自宅から通勤しました。

昭和51年に電機メーカーに入社しました。その時から50歳になったら会社をやめて、60歳までの10年間、もう一つの人生を歩もうと決めていました。
「人生二毛作」という言葉が好きです。たった一回の人生だから、せめて二つのことを楽しみたい・・・そんな思いでした。ちょうど50歳になった時、
和歌山県が民間人校長を募集していることをNHKラジオのニュースで知り、
翌日、すぐに和歌山県教育委員会に問い合わせの電話をしました。
私は、子どもが大好きです。大好きな子どもが何百人も自分の職場にいる。
考えただけでもワクワクしました。
そして厳しい選考試験。たくさんの論文と面接。小学校の校長はたった一人しか採用されません。自分の考えをストレートに書き、話しました。運よく合格できました。大学を合格した時よりうれしかったです。
若い時からの願いが叶いました。目標を決め、強く願い続け、それに向かって努力すれば、夢をつかめることを実感しました。

 小学校に入ってみると、自分が思っていた以上に子どもたちは、かわいかったです。なんとかこの子たちの将来のために役立ちたいと思いました。
校長はたくさんの重要事項を判断しなければなりません。私の判断基準はいつもシンプルでした。「この案件は、子どものために良いのか悪いのか」・・・
それだけですべてのことを判断してきました。

 教育経験が全くない私が、なんとか校長職を10年間やりきることができたのは、保護者、地域の皆様、教育委員会、そしてすべての教職員の皆様のおかげです。それと何より大きな力になったのは、子どもたちの笑顔でした。
4月からは、子どもたちと過ごした10年間を宝物、心の財産として、京都で
新しい一歩を踏み出し、欲張りですが、もう一つの人生をしっかり歩んでいきます。ほんとうにお世話になりありがとうございました。皆様のご健康とご多幸を心からお祈りしております。ありがとうございました。

また、本日は、PTAの皆様が中心になり、児童、保護者に呼び掛けて、たくさんのメッセージをいただきました。写真のように立派なラッピングをしていただきました。私の一生の宝物になりました。

ほんとうにありがとうございました。

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